むらさき色とグレー

ノンセクシャルの灰色なアイデンティティをいろいろ考えてみる

ノンセクにとっての友情

皆さまお久しぶりです、そふぃです!

今日は友情についての私の考えをまとめておきたいと思います^^

 

ちょうど一週間前、約半年間ずっとわくわくしながら追いかけてきたアニメBANANA FISHがあの衝撃のラストを迎え、そのロス状態の中で改めてアッシュと英二の友情について考えていました・・・T T

 

そしてそのまま友情全般について考えるに至ってたんですが(笑)、たまたまそのタイミングで辻村深月の「盲目的な恋と友情」という本を読んだんです。

小説の後半では、上手く色恋の世界に入っていけない、いわゆる「女らしさ」を演じられない女性が、「恋には溺れるが友人である自分のことは大事にしてくれていない」と感じさせる同性の友人に対して、「なぜ自分という感謝すべき友人よりも恋人を優先するのか」といったことを延々と思い続けます。

 

この女性は私と似ている、と思いました。

 

私も色恋の世界が苦手です。ノンセクであることはもちろんその理由の一つです。

恋愛感情というものがよく理解できない私にとっては、「好き」という感情は誰に対してもほとんど等しいものです。

その中で「好き」の度合いが強かった人も何人かいましたが、それは「人間として好き」であるからということが多かったのでした。

 

この感情の対象には、男女の違いは特に無いのかなーと感じます。なので、例えばすごく仲が良くて、すごく好きだと思う女友達だっているわけです。

 

でも、その友人には彼氏がいる。

休みの日に彼女が主に時間を一緒に過ごすのは、私ではなく彼。どれだけ私が彼女を人間として好きだと思っても、友人にすぎない私が彼女と四六時中時間を共にするのは、世間からは少しおかしく映るかもしれない。

 

でもなぜ、彼女の彼は、「恋人」というだけで、私ではおかしいことも、当然のように受け入れられてしまうのだろう?なぜ彼女を独り占めにする権利が与えられるのだろう?

なぜ、私は「友人」というだけで、彼女の「恋人」より彼女から遠い存在になってしまうのだろう???

 

「恋人」>「友人」といった風潮を理解できないことが多いです。

 

今回読んだ小説には、この疑問がそのまま書かれていて驚きました。

 

そんな時、同じタイミングで、河合隼雄の「大人の友情」という本を読む機会がありました。

その本は上の疑問に対して、こういう風に答えています。

 

動物に友情はあるだろうか。ひょっとしてあるかも知れないが、それほど多くの例があるわけではない。しかし、オスとメスが発情期にお互いにひき合うのは、自明のことと言っていいだろう。それを「恋愛」と呼べるかはともかくとして、オスとメスの結合は、すなわち種族保存へと繋がるので、オスとメスの吸引力は、絶体絶命と言ってもよいほどだ。

人間も動物の一種である。(中略)恋愛の場合は、このような動物的基盤を持ち、身体まで突き動かされるので、強力なのは当然である。

               河合隼雄「大人の友情」47ページより引用

 つまり恋愛は、友情よりも生理的な感情だから強いというわけのようです。これは何となく納得させられるような、させられないような理屈ですね><

 

どちらにせよ、「好き」の形が必ずしも恋愛感情として現れない私のようなノンセクにとっては、友情は本当に大切なものです。だけど、恋愛>友情のように捉えられる中で、友情のみを大事に持っていても、寂しさを感じる時もたくさんあります。

 

このジレンマとどうやって上手に付き合っていくのかが今の悩みです(^_^;)

「恋人」ができたらこんな悩みもどっかに行くんでしょうか?( ̄^ ̄)